2021.01.01
拝み合いの暮らし
昨年からいまだに続くコロナ禍の中、やはり全国各地の寺社の初詣は、例年に比べて相当少なかったようです。それでも歳の初めに、一年の無事息災を神仏に祈るため、大勢の人々が寺や神社に出かけて、手を合わせる風景は、日本独特の麗しい風習文化と言ってよいでしょう。
初詣のお寺で、皆さんが両の手を合わせて、静かにじっと祈っている姿は清らかで平和そのものです。
掌(てのひら)を合わせた形は、今更言うまでもなく合掌です。仏教では合掌をとても大切にいたします。仏様を礼拝するとき、お仏壇に向かったとき、お墓にお参りしたとき、必ず両の手を合わせて「まごころ」を手向けます。人人礼拝(にんにんらいはい)といって、仏教徒の挨拶はお互いに合掌して相手を拝み合います。仏教徒が9割を占め、ほほ笑みの国とも言われるタイでは、お互いがほほ笑みながら合掌し合う姿が、テレビ等で映されるのを屡々目にします。本当に合掌の姿は美しく平和です。どこかのお坊さんの説教でのお話しです。
「右の手は仏様。左手は私です。右の手と左の手を合わせると、仏様と私とが一つにとけ合います」
「両の手を開いてご覧なさい。沢山のシワですね。シワが沢山ある掌(てのひら)をそっと合わせましょう。シワとシワがピッタリと合わさって”し(わ)あわせ”です。反対に、両手でゲンコツを作ってみましょう。そのゲンコツをぶつけ合ってごらんなさい。指の節と節がぶつかって”不しあわせ”です。合掌をしているとケンカは出来ません」
なるほど、合掌の心が分かりやすく説かれています。
思えば私たちの祖先は、日常生活の中での合掌は当たり前のことでした。朝夕仏様に手を合わせ、昇る陽、沈む陽に手を合わせ、遠くへ行った人の無事を祈り、病気の人の回復を願って手を合わせます。まさに合掌の生活でした。そういえば、私が生まれ育った寺の門前に住んでいた90歳を超えたお婆さんが、毎朝目が覚めると必ず道路の真ん中に出て、東西南北に合掌しているのを思い出しました。
仏教詩人の坂村真民さんは、『巡り会いの不思議に掌を合わせよう』と詠われましたが、ひとりひとりがお互いに拝み合いの日々を送りたいものです。
特にこの時期、忘れてならないのは、私たちすべての合掌を是非とも送りたい方達が、大勢おられることです。
先日「日本看護管理学会」というところから、「国民の皆様へ」と題して次のような声明が出されました。
『私たちは自分の仕事を全うするだけですので、感謝の言葉は要りません。ただ看護に専念させて欲しいのです。コロナ禍対応に疲弊する医療現場で、感染患者に顔をすり寄せるようにして聞き、看護に当たるスタッフは、緊張と過労以上に、時に家族にすら業務の実態を隠さざるを得ない、社会の「偏見」に追いつめられているのです。欲しいのは理解と協力なのです』と。
今こそ命を懸けて闘っている医療現場の方達に、「あなた達のことは決して忘れません。どうぞ御身大切に頑張って」と、感謝と励ましと祈りの合掌を届けつつ、ひとりひとりが何が出来るのかを考えたいと思います。。
2020.12.01
人間万事塞翁が馬
年を重ねて老境に入ると、自分の体に様々に異変が現れるのを実感することが多くなりました。最近特に顕著なのが、昼食直後や、夕食前の夕刻、入浴中などに、急に睡魔に襲われることです。若い頃は、師匠が毎日昼寝をしているのを見ながら、「昼間なのによく眠れるものだ」と思っていたのですが、どうやら私もその域に達したもののようです。
かつては真夜中の12時過ぎまで起きていることなど平気だったのですが、日中や夕方に眠くなるということは、本来の夜の眠りの質が、年とともに浅く悪くなってきているのが原因と思われます。いずれにせよ若い頃よりは、脳の働きも体の動きも、衰えてくるのは当然の理で、それもこれも命の営みの一現象と諦め、お迎えが来るまでは無理をせず、自然体のまま、心の持ちようだけでも明るく能動的に生きて行こうと、妙な達観をしています。
ともかくも、コロナ騒ぎで始まった一年が、その騒ぎが収まる気配を見せぬまま過ぎ去ろうとしています。何とも欝々として、楽しいことの少ない、心晴れぬ日々が続いた一年でした。
しかしこんな時こそ視点を変えて、古(いにしえ)の人の言葉や故事に、思いを馳せてみるのも、うっとおしい気分から僅かでも抜け出す方法の一つと思います。
昔、中国の辺塞(へんさい)という地に住んでいた老人(塞翁)は、自分の可愛がっていた馬が隣の国へ逃げてしまっても全く気にしません。しばらくすると、その馬が何と逞しく美しい別の馬を一頭連れて帰ってきました。それを喜んだ老人の息子がその新しい馬に乗ると、振り落とされて足を骨折したのです。それでも老人は気にしません。やがて戦争がはじまり、息子は足が悪いために徴兵を免れ、戦死せずに幸せに暮らしました。
この話は『人間万事塞翁が馬』といって詩の一部ですが、人間の吉凶や、禍福は定まり難いことを教えています。続く詩の中で、『推枕軒中(すいちんけんちゅう)雨を聴いて眠る』と詠っています。これは困ったときには布団をかぶって寝るに限る、というように受け取って良いでしょう。
生きるということは、幸不幸の織り成す一大ドラマです。一人一人が主役です。主役であるあなた、『人間万事塞翁が馬、推枕軒中雨を聴いて眠る』と天に向かって大見栄を切り、そのまま寝てしまうのもいいじゃないですか。その間に、不幸が幸福に転じているかも知れません。
いずれにせよ、人間の科学的叡智が、今の疫病禍を克服する日が必ず訪れることを信じるしかありません。《朝の来ない夜はない》の喩え通り、今は忍従の時であっても、いつかきっと明るい日差しが差し込んでくるはずです。
皆さん佳いお年を。
2020.11.01
病恩
生涯初の入院・手術を経験しました。一年ほど前から右耳の下にシャインマスカット大のふくらみができ、永年大きな声でお経を唱えてきた末の、筋肉の塊か何かだろうと思いながら、内科の主治医に何げなく見せたところ、すぐに大病院を紹介され、検査の結果、耳下腺腫瘍という診断でした。幸い良性でしたので、しばらくはそのまま放っておこうと思ったのですが、今後永年の間には悪性の癌に変異する可能性もあり得るという診断でしたので、入院して切除手術を受けることにしたのです。
全身麻酔での手術でしたので、4時間半ほど眠っている間に無事終わったのですが、術後に3本の管につながれていましたので、それらから解放されるまでの2日半ほどは、寝返りもできず、それが一番の苦痛でした。
退院して5日目になりますが、まだ耳から下顎にかけて、顔全体の5分の1ほどに鈍痛と麻痺が残っている状態です。痛みは間もなく癒えるでしょうが、麻痺が完全に取れるのには長期間が必要のようです。日頃健康で忙しくしていた人が突然病気で入院したりすると、不安やイライラが募って、ますます病気を悪化させることがあるそうで、気を付けて過ごそうと思っています。
まだ若干の痛みと腫れと痺れが残る手術跡をさすりながら思いを巡らしていると、戦前から戦中にかけて活躍されたある政治家のことが頭に浮かびました。その政治家とは、早稲田大学の教授を勤めた後、時の憲政会・民政党に属し、雄弁をもって知られた永井柳太郎(1881~1944)さんです。尚、この方は東京工業大学教授を経て、朝日新聞の論説委員となり、三木内閣の文相を勤め、後に国連大学学長顧問となる永井道夫さんの父上としても有名です。
永井柳太郎さんは、右足の骨膜炎に苦しみながら政治家としての使命を果たされた方ですが、よく『病恩だよ』と言われたそうです。病に恩を感ずる、言い換えれば『病気よ、どうもありがとう、恩に着ますよ』ということです。
足の痛みで歩くのにも他人の二倍三倍の時間がかかるそうで、階段は一段ずつ足をそろえて上らねばなりません。他人から見れば何とまぁ大変なこととなりましょうが、永井さんは「私にはゆっくり歩けるだけの時間が与えられているのだから『病恩』だよ」と明るく言われたそうです。どうしても病床に伏せっていなければならない時も、「長期的な構想や読書ができてこんなありがたいことはない『病恩』だよ」と。
おそらく永井さんは、このたびの私の経験など足元にも及ばぬほど、口では言えない痛みゃ苦しみを体験されていたのだと思います。にもかかわらず『病恩だよ』と言って、病気を恨むどころか、手を合わせるというのですから、その心の柔らかさには"参りました"と言う他ありません。
"逆境を超えて"とは簡単に言いますが、いざその境地に立ったら、やはりたじろぎ、うろたえ、打ちひしがれるのが普通でしょう。しかし『病恩だよ』とさわやかに言ってのける心構えを日頃から持っていれば、いつも前向きで楽しい日送りが出来ると思うのです。永井さんのような訳にはなかなかいきませんが、人生初の入院・手術から学んだことの一つでした。
2020.10.01
大日本ドケチ教の教え
実りの秋、食欲の秋です。先日の新聞に興味深い記事がありました。今中国で、食べ物の無駄をなくすための「食べきりキャンペーン」という運動が広がっているというのです。元来中国では、お客には食べきれないほど沢山の食事を出すことが最高のもてなしと考え、客のほうも、ある程度食べ残すことが、もてなしへの感謝の表し方だと考える習慣があり、今もその習慣が残っているそうです。その結果中国での食べ残しは、一般家庭や料理屋も含めて、都市部だけでも年間1,700万トンを超えており、それは約3千万から5千万人の一年分の食事量に相当するとのこと。
こんな世相の中、中国各地では、客が食べきりやすいように、量も値段も半分にした「半人前メニュー」を始める料理店が増えているのだそうです。ネット上で流行していた大食いの生中継も、業界団体が「浪費を招く」と禁止したり、政府も食べ残し防止の法制化さえ進めているという記事内容でした。都会のホテルやレストランでは、随分と残飯が減ったそうです。
恐らく日本でも事情は同じで、かなりの量の食べ残しをはじめ、スーパーやコンビニでは、膨大な量の売れ残りが発生しているようです。いわゆる「食品ロス」は、だいぶ以前から問題となって叫ばれていますが、一向に改善の気配が見えません。ホテルやレストランから出る残飯を主食にしている新宿のカラスは、ほかのどの地域のカラスよりも肥えているというような、笑い話さえありました。食料自給率が20パーセント未満というこの国で、戦争をはじめ、全国規模の大災害等に見舞われた時など、果たして国民すべての胃袋を満たすことは可能なのだろうかと、危惧を抱かざるを得ません。何より最近のテレビで、食べ物や食事に関する番組の多いことと、可愛い女性タレントのびっくりするような大食いを面白がって煽っているような場面には、憤りさえ覚えます。
かつての日本に、確か有名な落語家が始めた「大日本ドケチ教」という宗教がありました。多分その落語家は、冗談か洒落のつもりだったのでしょうが、実に含蓄に富む宗教だったようです。ドケチ教というくらいだから、信者たちは皆ケチケチした生活に徹していたのだろうと思っていたら、『ケチとシブチン(シミッタレとも)は違うのだ!!』と、次のような話がありました。
ある店の旦那が小僧さんを呼び、近所の家に金づちを借りに行かせました。しかしその家の主人は、『打つのは鉄の釘か、竹の釘か』と尋ね、鉄なら貸せないといいます。金づちが減るからだと。話を聞いた旦那は、ご立腹、『しみったれた野郎だ、じゃあ、うちのを出して使おう......』
なるほどケチとシブチン(シミッタレ)とは違うようです。さて大日本ドケチ教にも『教え』がありました。それは、「自分がこれだ! と思って手に入れたものは、とことん長く使い切る。食べ物もうまかろうがまずかろうが、とことん食べ切る。男女の関係でも惚れた相手には、脇見をせずにとことん惚れぬく。即ち、お金、物、そして価値あるものを大切にする心を養う。特にお金で買えないものを大切にすること」というのです。なんとも立派な教えです。今の日本人に最も大切なのはこの教えではないでしょうか。
大日本ドケチ教というくらいですから、お経もあるのだろうと調べたら、これまた実にわかりやすい、誰でもがすぐに唱えられるお経でした。それは『もったいない、もったいない、もったいない』というのです。皆がこのお経を唱えるようになれば、日本はもっと住みやすい豊かな国になると思うのですが........。
2020.09.01
お経の言葉あれこれ
私は、檀家さんのご先祖供養等の法要の際には、参列の方達のために教本を準備しておき、曹洞宗の根本の教えとも言うべき「修證義」を唱和していただくことにしています。その時の様子を見ていると、教本を、軌範通りにまっすぐ前を向いた顔の正面に直立させ、姿勢を正して誦んでいる方は少数で、殆どの方は、背中を丸めてうつむいた状態だったり、極端な場合は、猫背のまま教本を片手に持って、片方の肘を膝に付けて体を支えているような人まで、実に様々です。
多分これは、「お経なんて、何を言っているのかちっともわからない」という思いが強いためのことであろうと思います。なるほど耳から聴いたり、字面を追ったりしているだけでは、まさにチンプンカンプンなのでしょう。私はこれを冗談で「珍文漢文」と言っていますが。
ところが私たちは日常生活の中で、けっこうお経の言葉を使っているのにお気付きでしょうか。例えば「来年の入試は絶対合格するぞ」と言ったときの「絶対」という言葉はお経の中から始まった言葉です。
「死ぬ時には、出来れば安楽に逝きたいものだ」の「安楽」もお経の言葉。
「いえいえ、私は一つの方便として申し上げたまででして」と、言い訳の時によく使う「方便」も、元の意味とは違って使われているようですが、お経の言葉です。
随分前のことですが、日本で初めて五つ子の赤ちゃんが誕生して大きな話題になりました。五人とも元気に成長して、それぞれが有名な大学を卒業し、立派な社会人になったと聞いていますが、この五つ子ちゃんの名付け親は、京都を代表する清水寺の、今は亡き大西良慶貫主でした。
『観音経』というお経の一節に「観音妙智力(かんのんみょうちりき)」とありますが、この中から妙を取って妙子(たえこ)ちゃん、智を取って智子(ともこ)ちゃん、また同様に観音経の一節「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」から福を取って福太郎君、聚を寿という字に置き換えて寿子(としこ)ちゃん、海を太平洋の洋に置き換えて洋平(ようへい)君とされたのです。
思えば五つ子ちゃんたちは、生涯幾度となく、『観音経』の言葉を唱えたり、呼びかけられたりして生きていくわけですから、大西良慶貫主の願い通り、観音様のご加護をいただいて幸福な道を歩むに違いありません。
「あいつは唯我独尊(ゆいがどくそん)だからなあ」などと、協調性のない人を非難する人がいますが、「長阿含経(ちようあごんきょう)」というお経にある『唯我独尊』とは、自分だけが尊いという意味ではなく、一人一人の人間の尊さ、もっと広く言えば、地球上のすべての命の尊さを言っている言葉ですが、こんな難しいお経の言葉が、実は日常使われているのです。
機会があればお寺に行って、お経の本から日常使われているような言葉を探してみるのも一興かも知れません。
【ミニ解説】
《絶対》サンスクリット語の漢訳。本来の意味は善悪、苦楽、自他、大小など相対するものを超越すること。
《安楽》これもサンスクリット語の漢訳。原意は幸福の意で、安らかで心地よい状態のこと。これが後に極楽と同じ意味に使われるようになり、苦しみの世界(この世)から仏の世界(あの世)へ行くことの意味で「安楽になる」などと使われるようになった。
《方便》これもサンスクリット語の漢訳。原意は近づくとか達するという意味。つまり衆生を悟りに導くための手段の意味。したがってその手段となる僧侶の説教の言葉もお経の文字も、坐禅も念仏も方便(悟りへの手段)ということになる。