住職の法話

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住職の法話一覧

2019.05.01
逝く時は西枕



 この時期、安養寺の境内に立って遙か西方を望むと、青空の中に雄大な山容の月山が眺められます。冬期間は想像を絶する豪雪のため入山できず、むしろ五月から七月にかけて夏スキー客で賑わう山です。全山雪に覆われた山容は、澄んだ青空と相まってたとえようもない美しさです。特によく晴れた日の朝、陽を浴びて金色に耀き、大皿を伏せたようななだらかな稜線がクッキリと浮かんで見えるその山容は、神々しくさえ見えて、まさに霊峰の名にふさわしい姿です。

 私はこの月山の麓の町で生まれ育ちました。西の彼方にこの月山の山容が見えると、何となくホッとして、古郷のことが懐かしく思い出されます。

 ところでお釈迦様が、インドのクシナガラで御入滅の時、頭北面西(いわゆる北枕)で横臥されていたことは有名な話です。現代の日本では、北枕というと、一般的には縁起が悪いこと、不吉なこととして捉えられているようです。多分お釈迦様の御入滅時のお姿から、北枕は人が死んだときの寝姿だと信じ込まされてきた結果なのでしょう。果たして北枕は縁起が悪く、不吉なことなのでしょうか。

 お釈迦様はインドの北端、今のネパールとの国境付近の小国シャカ国の小村ルンビニのカビラ城で生を享けられました。あらゆる苦行の後、菩提樹の下で静かに坐禅三昧に入られ、三十九歳でお悟りを得た後、四十年間説法の旅を続け、ついに八十年の御生涯をルンビニの南方クシナガラで閉じられました。今でこそルンビニとクシナガラ間は、車で八時間ほどですが、当時としてはとてつもなく遠い距離だったと思われます。

 これは私の勝手な推論ですが、人がその一生を閉じんとする時、真っ先に脳裏に浮かぶのは、自分を育ててくれた古郷であり、そこに息づいていた両親や兄弟姉妹、隣人や友人であろうと思うのです。お釈迦様もいよいよ命尽きんとしたとき、北方の古郷ルンビニの山々と、両親をはじめとする縁者の人たちへの懐かしき情黙し難く、それが北枕となったのでしょう。このことこそが人間としてのお釈迦様の真実のような気がします。

 そこで私は、自分が黄泉に旅立つときは、月山の方向の西枕にしてくれるよう、弟子たちに頼んでおこうと思います。


2019.04.01
百歳人生、百億人口の時代に思うこと


 私の好きな作家の一人である五木寛之さんが、某新聞紙上に興味深いことを書いていました。

 曰く「私たちは現在、人類史上初めての異常な現実に直面している。一つは、人が百年生きる時代が来たということ。もう一つは、地球上の総人口がやがて百億に達するだろうということ」だと言うのです。言われてみれば、百歳人生はすでに現実であり、毎日の新聞の「お悔やみ欄」を見ても、九十台での訃報は珍しくなくなりました。又、地球上の総人口は、戦前は二十億人台だったのが、現在は七十億人以上とされていて、今後は一年間あたり一億人づつ増え続け、全地球上の人口百億人というのは、文字通り現実の未来なのだそうです。

 五木さんは「百歳人生と百億人口……その気の遠くなるような事実に、呆然と立ちすくむばかり」と訴えています。

 折しも、日本人が古来から伝統として保持してきた元号が、新しく『令和』と定められました。春のような和(なご)やかな令(よ)き時代になるようにとの願いが込められているそうです。私は、百歳まで生きる自信は到底ありませんが、この「令和」の時代に死を迎えることだけは確実なことと思います。その死を迎えるまでの間、百億の人口を抱える、どうにも生きずらそうなこの地球上で、どう生きてゆけばよいのか、「令和」の思想とは裏腹に、五木さん同様呆然とせざるを得ません。

 そこで一つの逸話を思い出しました。 かの哲学者ソクラテスが、無実の罪で投獄され、死刑執行の日を待っていた頃、脱獄を勧めに来た親友に言い残したという言葉です。

 「人間は誰でもいつかは死ぬのだ。それがわかっているからこそ、私たちがいつも考えねばならないことは、死を免れようとするのではなく、与えられた生の時間をどうしたら最もよく生きられるかということだ。大切なことは、ただ生きることではなく、よりよく生きることなのだ」

『ただ生きることではなく、よりよく生きること』……かみしめたい言葉です。

 曹洞宗の開祖道元禅師様の教えにも、「徒(いたづ)らに百歳生けらんは恨(うら)むべき日月(じつげつ)なり、悲しむべき形骸(けいがい)なり」とあります。「たとえ百歳まで生きたとしても、実の伴わない人生では、時間も虚しく、いただいたこの身体ももったいないではないか。この世に生を受けたということの意味は、ただ生きるのではなく、よりよく生きることにほかならない」と教えられています。

 とは言え、欲と煩悩にまみれたこの体、新しい令和の時代にどう活かそうか……悩みはつきません。あなたはいかがですか?


2019.03.03
つまずきもいつの日か力に


 春の訪れは、特に学生は受験から新入学へ、あるいは卒業から就職へと、人生の中でも動きの大きな経験をする季節です。志望校に無事合格出来たり、新社会人としての希望に満ちている若人がいる陰で、思うようにいかずに挫折を味わっている若人がいたり、悲喜こもごもの季節かも知れません。

 私の身の回りでも、娘の長男が高校に、弟子の長女が国立大学に、それぞれ第一志望を突破して合格出来、喜び合ったところです。受験地獄とまで言われるように、長い苦しみを経ての結果ですから、成功すればその喜びは大きく、失敗すればその悲しみは計り知れません。いずれにしても若者の瑞々しい精神を大きく左右します。

 失敗した若者は、自分が世界中で一番不幸だと思い込んでしまいますから、どんな慰めも励ましの言葉も通じないでしょう。かと言って何かをしてあげたいのが人情です。

 有名な仏教学者の鈴木大拙博士が、ある時悩める若い女性秘書におっしゃったそうです。

 「90歳にならないと解らないことがあるから、君も長生きしたまえよ !」

 博士は、90歳になってもまだ未知なるものが沢山ある。それに出会い、それを知ることがとても嬉しいことなのだ。だから君たちも、あせらず長生きをしなくてはならんよ、と若者を励まされたのです。

 何かと移動の多いシーズンなので、若者に思いを馳せましたが、博士のお言葉は、中年であれご老人であれ、大いに学ぶべき点があります。

 「90歳にならないと解らないことがあるから、君も長生きしたまえよ !」

 博士のご生涯も決して平坦な道ではなかったようです。それだけに、この一言にズッシリとした重みを感じます。もし、受験に失敗した若者が身近においでなら、この一言を教えてあげてください。そして「つまずきもいつの日か力となる」という言葉もさらりと添えてあげたら、感性の鋭い若者のこと、立ち直るきっかけを見つけてくれるに違いありません。

 

 

『鈴木大拙博士(1870~1966)について』

仏教学者。石川県出身。東京大学にて哲学を学ぶ。明治24年鎌倉円覚寺にて禅の修行。その後アメリカに渡り仏教の研究。帰国後は学習院大学、東京大学にて教鞭を執る。その間、欧米各国を講演して回り禅の教えを広めた。また、英文で禅に関する著作を多く著し、特に「般若心経」を英訳したことでも有名。それらは海外で広く読まれ、他に多くの啓蒙的論文や随筆等がある。1949年文化勲章受章。


2019.02.01
布施行の極致『尾畠さん』


 私たちの日常は、いつも思い通りいくとは限りません。とかく計算通りにはいかないのが人生であり、血と汗を伴うような努力も、思いがけない出来事で無になってしまったり、ひどい苦しみをもたらすことさえあります。例えば、ちょっとした交通事故。当人にとっては全くの突然の事故です。すると、とかく私たちは、目の前の状況にだけとらわれて、他人を恨んだり、運のなさを嘆いたり、やけを起こしたり、結果的に自分で自分を苦しみに追い込んでしまいます。

 突然の出来事に、自分を見失い、ますます苦しみの深みへ……。なぜこんな結果になるのでしょう。何がこうさせるのでしょうか。

 仏教では善因善果、悪因悪果と言い、善い種まきをしておけば善い結果が、悪い種をまけば必ず悪い結果が生まれると教えます。

 結果には必ず原因がある。つまり種と花、種と実の関係です。誰でも善い種をまいてよい結果を得たいと思うのが人情でしょう。では、善い種まきとは……。

 一つのあり方として、仏教では「布施」という修行を勧めます。「布施」というとお坊さんからお経を読んでもらった謝礼と捉えている方が殆んどと思いますが、本来の「布施」とは、「物でも心でも喜んで与えよう」という奉仕の心がけなのです。
 ほんの小さな事でいいのです。自分がされていやなことはしない。言われていやなことは言わない。優しい言葉、小さな親切、それがよい種まきであり「布施行」なのです。

 この「布施行」の極致にいる人こそ、かつてこの法話でも取り上げたあのスーパーボランティア、尾畠春夫さんでしょう。尾畠さんの人生のモットーは、母親から教えられたという次の言葉だそうです。『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石にきざめ』……思わず背筋が伸びるような尊い言葉です。そして尾畠さんは強調します。『人生の幸福は、人に愛され、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされること』だと。

 ところで尾畠さん、正月早々東京のある中学校に招かれて講演を行い、何と古郷の大分まで徒歩で帰るのだそうです。50キロの重い荷物を自作のリヤカーに積んですたすた歩く姿をテレビで観て、改めてびっくりするやら感動するやら……。

「世の中の人こそ人の鑑(かがみ)なれ」と言う芝居の台詞を思い出したことでした。


2019.01.01
無事是貴人


 私は季節の節目節目に、客間の床の間の掛け軸を掛け替えることにしています。

 この正月は、大正時代に名僧と称され、大本山永平寺の貫首に昇られた北野元峰禅師様の御揮毫になる『無事是貴人』の書を掛けています。

 この拙文をお読みいただけていると言うことは、まずは事なく、無事に新しい年を迎えられたということでしょう。無論、欲を言えばキリがなく、去年と比べて、失ったものもおありかも知れません。中には、ご家族やご親族のどなたかを亡くされた方、好景気という政治の世界の評価とは裏腹に、個人的にはお金や財産を減らされた方、様々かも知れません。

 しかし、この私という個人が、悲しんだり喜んだりできるのも、私が生命(いのち)をいただけているからに他なりません。そういう意味で、生命をいただけて新年を迎えることができたことは、人として生きる上で、この上なく貴いことであるはずです。

 無事の「事」という言葉には、人間が故意にワザと何かを行うという意味もあるそうです。その意味から解釈すれば、無事とは、作り事をしないことであり、素直にありのままでいる人ことこそ、貴い人であるということができましょう。しかし、見せかけの自分や、体裁を飾った自分として生きるのではなく、ありのままの私として生きていくことは、簡単なようでなかなか難しいものです。

 しょせん人間は皆、「よちよち」から「よたよた」へ。やがては「よろよろ」になり、いつかは「よぼよぼ」にも「よれよれ」にもなって死に至るのが自然の摂理です。ならば「今日」「今」「この一瞬」生命を授けられ、生きて活動していられることに、感謝の思いを起こし、悔いのない一年を過ごしたいものです。


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